ある刑事裁判の報道を見た祖母が、私に言いました。
「弁護士なんかに、なるなよ」
祖母は、大正生まれの割にはとても開明的な人で、女性の教育や社会進出にも肯定的で、自由というものへの理解もある人でした。
そんな祖母がそのように言ったのは意外でした。ですが、痛ましい事件の報道を目の当たりにすれば、「悪人」を擁護する弁護士(弁護人)もまた、悪人と見えたのだと思います。
それは、無理のないことだと思います。
私は、今、刑事弁護を多く取り扱っています。
今は亡き祖母と話ができるのなら、「私は『悪人』ではなくて自由を守る仕事をしているよ」と伝えたいと思います。
検察官の主張に反論し、自説の立証をする機会が被疑者・被告人には与えられなければならないと私は考えます。
神ならぬ人間が、真実に少しでも近づき、同じ人間を公正に裁こうとするのであれば、被疑者・被告人の側に手かせ・足かせのない状態で公平に議論を戦わせる必要があるからです。
公平で開かれた議論ができなければ、能力に限界のある人間がより正しい判断をすることはできません。
正しい判断ができない結果、冤罪が生まれるだけでなく、有罪の中でも量刑が不適切なものが生まれてきます。
違法・不当な有罪判決は、私たちの自由を奪うものです。
また、言い分を聞いてもらえなければ、判決に納得することはできません。
「あいつは悪人だから弁護士を付けさせるな」
「犯人に決まっているから主張させる必要はない」
そんなことがまかり通るようになれば、明らかに犯罪をし、反省もしていない人が「裁判では言いたいことが言えなかった。ちゃんと主張立証していれば結果は違った。」と主張するのを許すことにもなります。
目の前の依頼者を弁護することが、その背後にある国民全体の自由を弁護することにつながる。
私は、そう考えて、日々の仕事に取り組んでいます。