司法修習生や新人弁護士の頃、先輩弁護士から、「裁判官的・第三者的な文章を書くな。」と注意されることがよくあります。
司法研修所の民事弁護教官経験者が書いた書籍でも、「「当事者」の書面であることを意識せよ」として、以下のような指摘がされています(括弧内は私の補足)。
(準備書面は)第三者的な立場で訴訟記録を分析して論じたり、裁判所的な視点から双方の主張及び証拠を評価して判断したりするものではない。
(民事弁護実務研究会編著『民事弁護の起案技術』39頁)
では、具体的に、何をすべきでしょうか。
「~と推認できる。」、「~と認められる。」という語尾が裁判官的・第三者的だと指摘されることがよくあります。
ですが、語尾を「~である。」に変えて断定調にしただけでは、当事者的な文章にはなりません。裁判官的・第三者的な文章と当事者的文章とのより本質的な違いを考える必要があります。
裁判官的・第三者的な文章と当事者的な文章の大きな違いは何か。
私は、ストーリーの有無であると思います。
裁判官的・第三者的な文章は、ある結論が正しいことの説明です。その結論に達した思考過程は、必ずしも記載されているわけではありません。
刑事裁判の判決書に記載されている「判決の理由」は、結論が導かれた後に、裁判官がその正当性を説明するために作った文章である。それは、実際の判断の過程が記述されたものではない。彼等がその結論に導かれた実質的な理由も、しばしばそこには現れていない。
(高野隆ほか著『刑事法廷弁護技術(第2版)』17頁)
事実認定者(裁判官)は、証拠と自らの知識及び経験によって自分の中でその事件のストーリーを構築し、そのストーリーに従って結論を出すと言われています。証拠についても、そのストーリーに沿って解釈しようとすると指摘されています(前掲・高野隆ほか著17頁以下)。アメリカの弁護士が書いた著作でも、「議論では物語を語る」として一章が割かれ、以下のように指摘されています。
物語を語る能力は、法律文書を書くために必須のスキルであるにもかかわらず、ロースクールでは教えてくれません。…技術的文書では、読み手は複雑な内容を物語のように並べ替えることで理解しようとします。
スティーブン・D・スターク著、小倉京子訳『リーガル ライティング 訴訟に勝つ実践的文章術』96頁)
刑事弁護でも民事訴訟でも、当事者の立場から書く文書にはストーリーが必要であると思います。主張書面は、判決書のお手本として示すものではありません。主張書面では、こちらのケース・セオリーを受け入れてもらうために必要な事実と思考過程を提供します。そのために、ある要件、法律、又は事実の背景事情を述べたり、図表を用いたり、比喩を使ったりして、事実認定者を説得する必要があります。
われわれのケース・セオリーは、検察側のストーリーに対抗し、我々が目標とする判決を導くストーリーを内容とすべきである。このストーリーのことをケース・ストーリー(Story of the Case)という。われわれは、事実認定者に受け入れられる内容のケース・ストーリーを構築しなければならない。
(前掲・高野隆ほか26頁)
本当は何があったのか、その証拠はどのように解釈されるべきなのか。
依頼人が望む結論(判決)を事実認定者がすべき理由、すなわちケース・セオリーをストーリーとして提供するもの。それが「当事者的」文書であると思います。